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 仙台の母親浜松で講演
 自閉症の長男との避難生活
 ごみ出し一緒に地域への周知も

静岡新聞 2012年2月12日

 

 重い知的障害と自閉症を持つ長男(22)とともに東日本大震災に被災、避難生活を余儀なくされた高橋みかわさん (仙台市)
「白開っこ」を持つ家庭、立直面した困難について浜松市内で講演し、「地域とつながることが大切」と訴えた。
NPO法人「はままつ子育てネットワークぴっぴ」(原田博子理事長)が開いた。

 3月11日の地震発生時、高橋さんは自宅マンションに、長男は作業所にいた。
「普通の生活が一瞬にして消えた」もともと長男は話せない、思いを伝えられない、ものや手順にこだわりがある。
「特に環境の変化に弱く、騒然とした避難所ではバニックを起こしてしまうかもしれない。自宅避難しかなかった」。
ライフラインが途絶え、ものが散乱した室内でまず、長男が安心できる居場所づくりに取り組んだという。
「自閉っこは守ってくれる人の感情を敏感に察知する。私がどんと構えることが大切だった」と明かし、不自由な生活の中での自閉っこを混乱させない工夫、心構えを具体的に説明していった。
 翌12日からは、母親仲間に向けてブログを始めたという。無事を知らせる内容から、地震で起きたことを伝える内容ヘ。孤立感を深めやすい家族の不や苦悩に寄り添い、「頑張らないで」と携帯電話メールでメッセージを発信し続けた。その記録を著
「大地震自閉っこ家族のサパイパル」(ぶどう社)にまとめた。
 在宅避難した人の闘では、水の確保が最も大変だったという話が多かった。
 「人口密集地では給水車に5時間並んで目の前でもらえないことも。当然、自閉症の子を連れては並べない」
 自閉症の家族を抱えていても、防災の基本は地域との連携と強調し、「日ごろから息子をごみ出しゃ廃品回収に連れて行く。『わが家にはこの子がいます』と知ってもらうことが重要」と訴えた。
 一方、「福祉避難所ができたという情報は地震発生から数週間後、新聞で知った。その避難所も高齢者や肢体不自由の人が優先。自閉症の人は見た目では障害が分からない。障害特性による住み分けが必要」とも指摘した。
聴講した自閉症児を持つ親たちは「地震への不安は強いが、備蓄の大切さがあらためて分かった」「学校と防災マニュアル、避難方法を再確認したい」などと話していた。

 

 


 

被災した母親の手記やブログ一冊に

「河北新報」平成23年11月13日(日)付け記事

 震災を自閉症の子どもと家族がどう乗り越えたか。仙台、石巻両市で被災した母親の手記やブログをまとめた本「大震災 自閉っ子家族のサバイバル」(ぶどう社)が反響を呼んでいる。7月の出版後2ヵ月で2000部が売れ、版を重ねる。「自閉っ子」の生きる力、家族の絆、メールでの支え合いなど、感動と多くの学びを伝える。

停電、避難支え合う ママ友メール力に
 本は仙台市青葉区の高橋みかわさん(48)を編者に、自身と、自閉症児の「ママ友」である石巻市の浅野雅子さん、及川恵美さん、三浦由里香さんが被災後1ヵ月の体験をつづった。「ライフラインのとまった街で」「ブログとメールでつながりあった」「津波に襲われた街で」「地域の避難所で」の4章から成る。
 高橋さんはマンション住まい。3月11日の地震の後、重い自閉症があり作業所に通う長男きらくん=愛称、(21)=ら家族と自宅にとどまった。
 電気や水が止まり、食事も限られた状況。自閉症の人は環境の変化が苦手といわれるが、きらくんはパニックもなく、刺激を避けるように、よく眠っていた。
 石巻の3人は、津波による浸水で自宅が被災。市内の実家や地元の中学校に家族と逃れ、避難生活を余儀なくされた。
 浅野さんの長男けいくん=同、小学6年の支援学級=は布団の中でじっと過ごし、及川さんの長男なおくん=同、同=も穏やかで、周囲のがれきの景色には反応を示さなかった。
 三浦さんの長女エリさん=同、高校2年の支援学級=は避難所生活で時にストレスが高じたが、好きな衣類で安心した。
  「それぞれの行動が、非常事態での自己調整、適応力。つらかった毎日で、彼ら本来の『生きる力』を発揮したのだと思う」と高橋さんは言う。
 どの家族も一つに寄り添って支え、きょうだいが自分のことより先に手助けをし、避難所で一緒だった近隣の人々も笑顔で接した。
 「そんな日頃の絆もサバイバルの条件でした。自閉っ子自身が生んだ絆でもあります」
 孤立しかねない母親たちを応援したのも、メールの絆だった。高橋さんは電話の復旧とともに3月12日の夜、無事を知らせる携帯メールを「ママ友」らに一斉送信した。
 たくさんの返信があったが、「みんな頑張りすぎて、深刻な人もいた」と高橋さん。「燃え尽きないよう、『肩の力を抜いて』『1人じゃないよ』と伝えなくては」と、配信メール「みかわ屋通信」を始めたのが16日。
 「愚痴、泣き言大歓迎。チマチマ、ゆるゆるいこう」と40日間、約50人に送り、それに日々の悩みや奮闘を書いて返してくれたのが石巻の浅野さんら。高橋さんはブログ「みかわの徒然(つれづれ)日記」でも紹介し,「記録として残そう」と出版話にもつながった。
 本は、次の震災が懸念される東海地方や東京で反響を呼び、ネットや会報誌で広まった。「防災と支援の備えの視点からも読め、ぜひ本を活用して」と高橋さん。20日午前10時から、東北文化学園大発達支援教室講演「ひろぱ」で、高橋さんと三浦さんが報告する。

 

 


 

障害児支える地域の絆 震災、原発事故…… 避難生活で大切さ浮き彫り

記事・共同通信
掲載誌
・西日本新聞
・山陰中央新報
・静岡新聞
・デーリー東北

 

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故では、発達障害のある子どもも数多く被災し、避難生活を強いられた。学校や地域に見守られ、新たな一歩を踏み出す家族がある一方、避難先で孤立を深める母親もいる。震災を通じ、地域の絆の大切さが浮き彫りになった。

 ●「この学校で良かった」 周囲に見守られて 宮城の特別支援学級

 大きな揺れに見舞われたのは、自宅近くの小学校にいた時だ。宮城県石巻市の浅野雅子さん(42)は、知的障害を伴う自閉症で特別支援学級に通っていた長男敬志君(13)を迎えに行っていた。
 薬を取りに一度帰宅。非常時でもいつも通りきちんと靴を脱ぐ息子に大声を上げてしまう。避難所の中学校に急いだ。
 敬志君は環境の変化が苦手。3日過ごした教室では片隅で身をすぼめ、ずっと横になっていた。登米市にある夫の実家に移っても安心できる布団にもぐったままだった。
 食料不足の中、親戚は気を使ってくれたが、偏食気味の敬志君はあまり食べない。「わがまま言えないんだから」。いら立ち、不安が募る。言葉を理解しづらい敬志君の腕を思わずつねったことも。「誰も悪くないのに。つねっても何も変わらないのに」と涙が出た。
 数日後、浅野さんは自分だけ自宅に戻り、片付けを始めた。好きなおもちゃやスケッチブックに囲まれ、笑う息子の姿を見たい一心だった。
 安否確認に訪れた担任教諭は「教室には敬ちゃんの好きなおもちゃがあるよ」と学校に来るよう勧めた。元担任は「食べられなくて困るだろう」と、好きなお菓子を残していた。
 「理解してくれる先生が目の前にいる。私も救われた」
 敬志君も自宅に戻り、卒業式を迎えた。頑張る一家を心配し、見守る周囲の人は増えていった。
 「この地域で育てて良かった。この学校で良かった」。卒業証書を受け取る敬志君を見て、浅野さんは思った。
 重度の知的障害がある自閉症の長男(21)がいる仙台市の高橋みかわさん(48)にも支えられた。「普段から子どもの存在を知ってもらうのが大事。日常の在り方が非常時の支えになる」と話す高橋さんは「『つらかった』で終わらせず次に伝えたい」と、自分や浅野さんら親たちの体験を「大震災 自閉っこ家族のサバイバル」(ぶどう社刊)にまとめた。
 敬志君が今春から通う県立石巻支援学校は児童生徒4人が犠牲になった。住民は学校に次々避難。介護が要る高齢者約20人を含む80人以上が避難していた時もあった。
 教職員は近所の人の食料支援や他校の協力を得て避難所も運営しつつ、5月12日の始業式と入学式にこぎ着けた。震災後、眠れなかったり自分の頭をたたいたりする子が増えた。体重が10キロ減った女子もいたが、学校が始まると元気になった。
 「学校がいかに子どもの支えになっているか、あらためて重みを感じた」と話す桜田博校長(57)は、地域の理解の重要性も再認識させられた。「震災で手を差し伸べてくれた地域の人に元気な子どもの姿を見せるのが感謝のメッセージだ」

 


 

高橋 みかわ(たかはし みかわ)

1963年、宮崎県に生まれる
防衛医科大学校高等看護学院卒
同付属病院勤務、結婚を機に退職
1990年、長男きら出産
1993年、次男出産
同時期、きらが自閉症の診断を受け、療育が始まる

現在、保護者勉強会「よかにゃん」を主宰し、
きらから教えてもらったことや、きらの成長とサポートブック
についての講演活動をしている

ブログ「みかわの徒然日記」
http://ameblo.jp/kiramama42/

 

 

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