2006年2月21日/読売新聞
支・え・る きもち 「たとえ能力が半分でも、残り半分を地域の人たちに支えてもらえば、障害があっても自分らしく生きてゆける」 治そうとせず ありのまま 自閉症の支援に奔走 明石洋子さん(59) 「徹之のおかげで、私も多くのことを学び、成長できました」 自閉症の長男、徹之さん(33)を育てた経験を生かし、各地の講演会で、明るく語りかける。川崎市職員として働く徹之さんが一緒に登壇し、仕事や趣味について話すことも多い。 徹之さんが公務員試験に合格した1992年から講演依頼が相次ぎ、現在は年30回を超す。薬剤師として企業に勤める傍ら、週末、全国を飛び回る日々だ。「どのような言葉で周囲の理解を得たのですか」など、毎回、具体的な質問が相次ぎ、「たいていは時間オーバー」という。 自閉症は生まれつきの脳の機能障害で、根本的な治療法はない。コミュニケーションがうまくとれず、特定のものに強い興味を示すなどの特徴がある。親の教育が悪いため、子供が自分の殻に閉じこもる病気などと誤解されがちだ。 「地域の人たちの哀れみや同情でなく、理解と支援を得たい」。この思いで徹之さんを育てるうち、他の障害児や家族への支援の必要性を感じた。89年、ボランティア組織を結成し、就労支援の作業所を設立。2001年に社会福祉法人となり、グループホームや生活支援センターなども手がけている。 99年と00年、活動がテレビで取り上げられ、自閉症の子を持つ全国の親から、相談の電話やファックスなどが殺到。返事を書くつもりで、子育てについて本にまとめた。韓国のテレビ局や出版社も関心を持ち、ドキュメンタリー番組や翻訳本、漫画本も発刊された。 徹之さんは乳幼児のころから話しかけても反応せず、言葉も話さなかった。3歳になる少し前、自閉症と知的な遅れが判明した。 「初めは自閉症を治そうと必死でしたが、地域の子と交わるうち、障害があっても自分らしく、ありのままに生きられるよう支援しようと発想を変えました。」 小、中学校は普通校に通わせた。あちこち動き回ったり意味不明の言葉を発したりするため、周りも戸惑ったが、教職員や他の父母との話し合いを重ね、理解を得た。何よりクラスメートが自然に接してくれた。 「水にこだわりがあり、勝手に近所の家に上がり込み、蛇口をひねって水浸しにすることもありました」。謝りに行くたびに、障害の特徴を話し、理解を求めた。「徹ちゃんだより」も作って配った。 日常生活では、おやつも着るものも、複数の中から選ばせた。しかる時も、「何をしてはいけなくて、何をするべきなのか、具体的に言い聞かせた」という。 「徹之の目は、全体でなく、一部分を照らす懐中電灯の光のようだ」。そう感じ、窓のふき掃除を手伝わせる際、チョークでガラスに線を書いて6等分し、1区分をふいたらチェック表に丸を付けるよう教えた。 徹之さんは、見たものを記憶することが得意という特技も生かし、猛勉強し、川崎市立川崎高校定時制に現役合格。高校4年生の時、市の現業職試験に合格、現在、老人福祉センターで建物の清掃などをしている。 発達障害者支援法など、制度は整いつつある。「でも、まだまだ自閉症を持つ人への偏見や誤解は強く、その人らしい暮らしを送るための支援も不十分。法律が出来ただけでは解消されないのです。これからも地域と、地域の人たちの心も耕していきたい」
|